汚水管マンホールの蓋
市の鳥「オオバン」
市の花「ツツジ」
消火栓の蓋
小象が放水している。
消火栓の文字の左には、あびこの「ア」を図案化した市章が入る。
空気弁
気球をデザインした空気弁。
気球の右にあるのは、あびこの「ア」を図案化した市章。
空気弁は、水道の配管に溜まった空気を排出し、水の流れを円滑にするそうだ。
母は18歳で父と結婚し、19歳で私の兄が生まれました。
母の父、すなわち私の祖父には、私が学校に上がる前にお年始に行ったとき初めて会いました。家が遠くてなかなか会えなかったからです。
ある日、その祖父が突然!私の家に来ました。私が小学校低学年の頃でした。
母はびっくりして迎え、すぐに魚屋と酒屋に走りました。
残された祖父は落ち着かず、私も祖父をチラッと見たりし、二人して黙っていました。
母はいつもと全然違う飾り付けしたお造りと、お酒を持って帰ってきました。祖父はお酒が好きだったのです。私の父はお酒を飲まない人だったので、母は準備が大変そうでした。
祖父はコタツの部屋でお酒を飲みながら、母と話していました。私は隣の部屋で遊んでいました。
そのうち、
「こっち来て背中をさすってくれ」
と祖父が私に言いました。
恐る恐る近寄って、背中にそっと触りました。うちにはお年寄りがいなかったので、私はどうしてよいかわからなくて困りました。
祖父も困ったらしく、新手を出し、
「肩をたたいてくれ」
と言いました。
背広の背中は硬く肩も硬く、力を入れてトントントントンとたたきました。
祖父は笑って、
「ああ、いい気持ちだ」
と言いました。
祖父は絵本に出てくる昔話のお爺さんそっくりでした。
母が若いから祖父もそんなに年とっていなかったかもしれませんが、私にはそう感じられました。
それが祖父にとって、たった一回の「娘の家」への訪問でした。
その次に会ったのは、祖父が病気のときです。
「こっちぃ来て背中をさすってくれ」
同じことを言われました。
横向きに寝ていた寝巻きの背中は温かく、私はきっと前より上手に撫でることができました。白地に青の格子縞の背中はやっぱり硬く、祖父は病気が辛そうでした。
そして……、
次はもうありませんでした。
温かくて硬い背中のことは、私の手がしっかり覚えています。
私と同い年のクミちゃんは四人姉妹です。
一番上のクミちゃんが小学一年、間に二人いて一番下のピーちゃんは赤ちゃん。クミちゃんは体が大きくて、下の子たちの服の世話、ご飯の世話、ピーちゃんのおしめ取り替えもしていました。
クミちゃんの家は、玄関入って左の部屋を作り替えて機械を入れました。機械がガッチャンガッチャン動いて、何かを作っています。それをおじちゃんとおばちゃんの二人でやっていました。
おじちゃんの車はかっこよくて、私は仕事の物を積んだりしている時はそばで眺めていました。おじちゃんは、本当は仕事に使うのではなくてドライブがしたかったみたい。ちょび髭の優しいおじちゃんです。
クミちゃんのおばちゃんは、機械を動かす合間に駆けてきて子どもの世話をしています。
だから、子どもたちの名前をしょっちゅう間違えました。
「クミ! じゃない、マリ! じゃない、ケー! じゃない、ピー!」
とうとう、呼ぶときには
「クミ・マリ・ケー・ピー」
と言うようになりました。
言うというか、叫ぶというか、もちろん間に「・」はないから、超特急で
「クミマリケーピー!」
です。
遊びに行ったとき、ちょうど漬物の桶を開けるところでした。
ずいぶん前に漬けたらしく、桶の重しのところに水がいっぱい上がっています。おばちゃんが重しを取って葉っぱと糠を除けると、ギッシリ並んだ大根が見えました。上の一本を取り出して包丁で切りました。
ポンと自分の口に入れて、
「うん、浸かったね! たくあんだよ」
といい、残りを次々に切っていきました。
子どもたちはクミマリケーピーの順に並んでたくあんの切れ端を待ちます。おばちゃんは順番に口に入れてくれます。私も並んで、ちょっと細長いシッポをもらいました。辛くて固くて少し甘くて、遊びながらずっと噛んでいました。
おばちゃんは誰に用事があったのかな。
全員呼んだら子どもの方が困らなかったのかな。
みんな来てしまえば問題なかったのかな。
三角道の突き当たりにあるクミちゃんの家。
いつも賑やかで、おばちゃんの
「クミマリケーピー!」
の声が、よく聞こえてきました。
一文字
荒々しい波にくっきり一文字
小さい頃は、家にお風呂がありませんでした。
父の会社のお風呂に入りに行きました。裏門の近くにお風呂があったので、裏門の守衛さんに挨拶をして入ります。従業員用のお風呂なのですが、毎日、家族用の時間を設けていました。
洋服を入れるところは学校の靴箱を大きくしたような棚でした。よく知っている人たちだけなので鍵などはありません。浴槽は二つあり、右は普通用で左は湯温が高いものでした。熱い方は深くて、子どもは一人では入れません。
社宅の人たちがいつも来ていました。
その中に「お風呂のおばちゃん」という人がいました。ふっくらとした人でした。
「お風呂のおばちゃん」は、そばにいる人の背中を流してくれます。たいがいは大人の背中ですが、たまに子どもにもやってくれます。垢すりをして、石鹸をつけて、丁寧に丁寧に大きな手で背中の隅々まで時間をかけて洗います。最後に桶いっぱいのお湯を静かに肩からかけます。きれいになった背中を手のひらで優しく撫でます。それが終わりの合図です。
おばちゃんに洗ってもらった日は、背中が息をしている気分になりました。
なぜ「お風呂のおばちゃん」と呼ばれていたかというと、お風呂の掃除を一手に引き受けていたからです。たぶん会社から仕事としてお願いされていたのだと思います。お風呂が早く終了する曜日には、裸のままで人のいない場所からブラシをかけたり、空いているカランを磨いたりしました。私も桶や椅子を運ぶ手伝いをしました。
ある程度片付けると、今度は服を着て掃除の続きをしました。私はそのくらいで、さよならをして家に帰りました。
お風呂のおばちゃんは大のパチンコ好きで、
「休みにさ、おじちゃんとパチンコ屋さんに行くのが何よりの楽しみなのよ」
と話してくれました。当たった時の話は何度もしてくれました。おばちゃんが面白そうに話すので私も嬉しくなって聞いていました。
パチンコはね、ず〜っと出ない日が続くの。
ず〜っと、ず〜っと、ず〜っとだよ。
ある日、出るのよ。
出て!出て!出て!
もうさぁ、だからさぁ。
ね?
出る日が続くわけないのにまた行っちゃう!
社宅の家に遊びに行った時、こたつの上や棚にタバコとガムとチョコレートがギッシリ並んでいました。
「これ全部獲ったんだよ」
と話してくれました。時計などもありました。
「パチンコが上手なのね」
と私が言うと、
「違う違う、いっぱいお金を使ったからよ」
と、おばちゃんが言い、
「好きだから止められないねぇ」
と、おじちゃんが言いました。
止められないくらい好きなことがあるって、いいな。
小さい頃はそう思っていました。
後に、近所では有名な菓子司になる建物が建築中のことでした。
小学校1年生か2年生の私は4、5人の友だちと徒党を組んで、大工さんが休みの日にその建物に忍び込みました。建築途中だから、柱と梁と荒壁、そして床板、1階の天井部分には茶色の薄い紙のようなものが張られているくらいでした。
お店になるところには、材木が積んであったり金属棒を組んで足場にしてあったり、脚立があったり、階段には橫板があるだけでした。
その場所で何をしたかというと、かくれんぼです。ふだんしているかくれんぼと違って未知の間取りだし、隠れ場所が豊富です。
だんだん興奮したのでしょう。私は1階の天井と2階の床との隙間、30センチくらいのところに入り込みました。奥へ奥へと梁を伝い進んでいくとちょっと覗いたくらいでは誰にもみつからない場所に行き着きました。そこに潜みました。
しばらくしてみんなの騒ぐ声。
「どこにいるの〜?」
「いないの〜?」
「もう帰るよ〜」
嬉しくなった私は
「ここにいるよ〜」
と出口の方へ這い出しました。
背の立つ高さがある場所まで進み、両足で立とうとしたときでした。片足が梁から外れたのです。
『バシャッ! バリッ!』
という音とともに紙の天井が抜けて、私の片足は宙ぶらりんになりました。
ゾゾッとして梁につかまり、そーっと足を引っ込めました。それからはもう夢中でした。友だちとはすぐ解散し、急いで家に帰りました。
『建築中のお店の天井を破っちゃった』
と、お父さんやお母さんに話さなければいけない。
いや、話さなくてもきっとばれてしまうだろう。
『あそこで遊んでいたのはあの子じゃないか』
お店の人はもう分かっているだろう。
大工さんだってきっとわかっている。
通る人たちもみんなわかっている。
ぐるぐるとそんな考えが渦を巻いていました。
毎日、頭の中がぐるぐるでした。
すぐ謝れなかった私は、もう建築場所の前を通れなくなりました。店は大通りに面していたからその方向へ行くのに不便になりましたが、遠くても回り道をしました。
お店が開店したのは知っていましたが、行けませんでした。何年も、何年も。父にも母にも言えずに胸に塊を抱えました。
何年も…、そしてまた何年も経ってからお客として初めて凸凸堂を訪ねました。
名物のお菓子を注文し包装を待つ間、そっとあの時の天井を見上げました。
店内の左側で壁からすこし離れたところの奥に近い部分……!
私はそこに穴が開いているのではないかと長い間思っていたのです。
穴はありませんでした。
和菓子屋さんらしい化粧天井の美しい模様がありました。
今になって思います。
そのまま1階に落ちなくて済んだのは幸運でした。落ちれば怪我をしていたに違いないからです。売り場の天井なので普通の家の天井より高くなっていました。下には様々な大工道具や刃物や金属棒、脚立などが置いてありました。
そこに落下していたら……。
悪いことをしたにもかかわらず、その張本人に幸運まで授けてくださいましてありがとうございます。
凸凸堂の皆さま
あの時、天井の紙を破ったのは私です。
本当にごめんなさい。
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