クラゲと拳と周平と・・ 山形県鶴岡市 and 酒田市 <9>

山形県鶴岡市 and 酒田市 <9>

「本間美術館」

 本間家の別荘「清遠閣」と庭園「鶴舞園 」

 

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茶室「六明廬(ろくめいろ)」

 

別荘「清遠閣」は、茶室「六明廬」を備えている。

「六明廬」は、にじり口や下地窓など、6つの明かり取りがあることから名づけられた。

 



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鶴舞園(かくぶえん)」

 

鳥海山を借景にした池泉回遊式庭園。
池の中島に鶴が舞い降りたことから、「鶴舞園」と名づけられた。


本間家四代当主光道が港湾労働者や農民の冬期失業対策事業として建造したもの。

敷地、約6000坪。

 



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本間家の別荘「清遠閣(せいえんかく)」

 

1813(文化10)年に四代目・光道が荘内藩主酒井候を領内巡視の際に迎えるため建築された。

京風の木造建築で庭園との調和も素晴らしい。

 

ガラス越しに見る庭は、より美しい。

 

 



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二階

 

明治時代末には一部二階建てになり、1925(大正14)年には東宮殿下(後の昭和天皇)が利用する。

 

その時に、従者がこの机や椅子を使ったとのこと。

 

 


各部屋の灯り

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本間家を訪問したヘレン・ケラー女史

盲・聾・唖の三重の苦しみを克服したヘレン・ケラー女史は、1948(昭和23)年に身障者事業に対する協力を求めるキャンペーンのため日本を訪れた。

寝台車で一夜を明かした女史は「ヘレン・ケラー女史歓迎県民大会」に出た後、本間美術館で歓待を受けた。

 

ケラー女史が本間美術館を訪れたときのことを本間久治氏は次のように回想する。


正直いってあのときほど面くらったことはありません。美術館旧館(元本間家別荘)の玄関を入って建物の説明を受けると、目の見えない女史は手で、『見』ようと柱や鴨居に手を伸ばし、触れられるのです。今までそんな経験はありませんから、鴨居まできれいに拭き掃除するなんて思いもよりませんでした。つぼや陶器をお見せしてもそうです。手をつぼの中に入れたり、鼻の近くまで持ってきてにおいをかいだりします。ですから、女史の手は見る間に、ほこりでまっ黒になりました。はたで見ていて非常に恐縮しましたが、本人は触覚と嗅覚で『鑑賞』するのに熱中しているようでした。

点訳ボランティア「はまなす」

 


(つづく)

 

* ケラー女史が旅先の名古屋から本間家宛に書いた礼状は、表装されて本間美術館にある。