(36)「お風呂のおばちゃん」
小さい頃は、家にお風呂がありませんでした。
父の会社のお風呂に入りに行きました。裏門の近くにお風呂があったので、裏門の守衛さんに挨拶をして入ります。従業員用のお風呂なのですが、毎日、家族用の時間を設けていました。
洋服を入れるところは学校の靴箱を大きくしたような棚でした。よく知っている人たちだけなので鍵などはありません。浴槽は二つあり、右は普通用で左は湯温が高いものでした。熱い方は深くて、子どもは一人では入れません。
社宅の人たちがいつも来ていました。
その中に「お風呂のおばちゃん」という人がいました。ふっくらとした人でした。
「お風呂のおばちゃん」は、そばにいる人の背中を流してくれます。たいがいは大人の背中ですが、たまに子どもにもやってくれます。垢すりをして、石鹸をつけて、丁寧に丁寧に大きな手で背中の隅々まで時間をかけて洗います。最後に桶いっぱいのお湯を静かに肩からかけます。きれいになった背中を手のひらで優しく撫でます。それが終わりの合図です。
おばちゃんに洗ってもらった日は、背中が息をしている気分になりました。
なぜ「お風呂のおばちゃん」と呼ばれていたかというと、お風呂の掃除を一手に引き受けていたからです。たぶん会社から仕事としてお願いされていたのだと思います。お風呂が早く終了する曜日には、裸のままで人のいない場所からブラシをかけたり、空いているカランを磨いたりしました。私も桶や椅子を運ぶ手伝いをしました。
ある程度片付けると、今度は服を着て掃除の続きをしました。私はそのくらいで、さよならをして家に帰りました。
お風呂のおばちゃんは大のパチンコ好きで、
「休みにさ、おじちゃんとパチンコ屋さんに行くのが何よりの楽しみなのよ」
と話してくれました。当たった時の話は何度もしてくれました。おばちゃんが面白そうに話すので私も嬉しくなって聞いていました。
パチンコはね、ず〜っと出ない日が続くの。
ず〜っと、ず〜っと、ず〜っとだよ。
ある日、出るのよ。
出て!出て!出て!
もうさぁ、だからさぁ。
ね?
出る日が続くわけないのにまた行っちゃう!
社宅の家に遊びに行った時、こたつの上や棚にタバコとガムとチョコレートがギッシリ並んでいました。
「これ全部獲ったんだよ」
と話してくれました。時計などもありました。
「パチンコが上手なのね」
と私が言うと、
「違う違う、いっぱいお金を使ったからよ」
と、おばちゃんが言い、
「好きだから止められないねぇ」
と、おじちゃんが言いました。
止められないくらい好きなことがあるって、いいな。
小さい頃はそう思っていました。