奄美大島の「アダンの浜辺」を訪ねて
深緑のソテツが群生している。中に褐色になったものが見える。それは枯れてしまったソテツ。
外来種の害虫カイガラムシが寄生して葉を褐色に変化させ枯らしてしまうのだそうだ。
これは数年前に行ったときの写真。
ニュースによると、現在はもっと被害が大きくなってソテツの葉の切り落としや薬剤散布を繰り返しているとのこと。
「アダンの浜辺」
赤尾木湾は奄美クレーターと呼ばれる。
太古の昔、隕石が落ちて出来た。
昔は湾の両側は別の島で、隕石が落ちたことで海が埋まり地続きになったらしい。(説明板より)
金属の玉粒や鉄の破片や、隕石の塊が発見されているという。
奄美パークの入り口。
緑色の表示は、左・田中一村記念美術館へ、右・一村の路へ。
(たなか・いっそん/明治41年[1908]-昭和52年[1977])
・栃木町に生まれる。本名は孝。
大正3年(1914)、東京に転居。翌年、彫刻師の父から米邨(べいそん)の画号を与えられる。幼年期から卓越した画才を示し、神童と称される。(東京都美術館「田中一村展」のHPより)
田中一村記念美術館
・南画を得意とした。大正15年(1926)、東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学するも、2ヶ月で退学。(東京都美術館「田中一村展」のHPより)
奄美パーク展望台
360度ガラス張り。
展望台から奄美パークを見る。
ドームは「奄美の郷」。
少しわかりにくいが、右に三つ並ぶ茶色の丸い建物が美術館。
・50歳にして単身奄美大島へ移住。紬織の染色工として働き、生活費を貯めては、奄美の自然を主題とした絵に専念する日々を送る。昭和52年(1977)、夕食の支度中、心不全により亡くなった。享年69歳。(東京都美術館「田中一村展」のHPより)
「一村の杜」に咲く極楽鳥花。
帰路の夕日。
(おわり)