(34)「拝啓 ミソ先生」
私が学校へ上がる前、ミソ先生は兄の受け持ちでした。
住んでいるところが近かったし、そのころは独身でもあったので、私の家へよく遊びにきてくれました。
先生はバレエをずっとやっていたそうで、幼稚園生の私にお遊びでポジションなどを教えてくれました。縁側でコトコト足を外に向けて喜んでいる私を、ニコニコと見ていました。その時着ていた真っ白いノースリーブのニットのセーター! パイナップルの網目模様がとてもきれいでした。
小学校二年の時、ミソ先生は私の担任になりました。
学芸会で私は台本を書きました。
先生と私たちのクラスみんなが登場する内容です。ドタバタの展開で演じている方も笑ってばかりでした。みんなは家から使えそうな小道具を持ち込み、衣装もお母さんやお父さんの分を借りました。
劇で先生役に付けた名前が「ミソ」。本当の名前をふざけて変えて「ミソ先生」にしました。
あるとき先生は、
「あなたのお母さんは良い仕事をするのね」
と言って、私のランドセルを褒めてくれました。
母が手作りしてくれたチューリップのアップリケのついたランドセルです。入学以来、特別に「いい」とか「変だ」とか誰にも言われたことはなかったから、初めて褒められていい気分でした。
振り返れば、近所の人も友だちもみんないい人だったのだと思います。
先生はマルチな人でした。
歌もピアノもうっとりしてしまうほど上手でした。バレエをしているから体育でも綺麗な動きで、見とれました。生意気な男の子たちがミソ先生の前では、かしこまっていました。
そういえば、小学校合同演劇大会に出場しました。
それなりに大きな大会で練習や準備がたくさんあり、なかでも書割作りが大変でした。夕焼け空をバックに板塀,その前に垂れ下がる柿の枝。落ちそうな実がいくつもオレンジ色に光っていました。筆や刷毛で塗っても塗ってもまだまだ塗りきれません。暗くなっていく教室で先生や友だちと作業を続けました。時間を忘れた幸せなときでした。
その結果、何かの賞をいただいて新聞の下のほうに小さく写真が載りました。
先生はとても大きな仕事をするために、若くして教師を退職しました。
そして、生きるために書道を教えていました。他の仕事もたくさんしていました。
その頃お会いしたとき、
「『救急には予算以内』だからね。忘れちゃダメよ」
と言われました。
忘れません! 覚えています! 先生の家の電話番号です。
もう、使われていないかそれとも別の家につながってしまうのか。試したことはありませんが、ときどき、電話をかけてみたい衝動が起きます。
プッシュすれば、もしかして……。
でも、私にはキラキラした温かい声が今も聞こえます。
ミソ先生!
私は、いつまでも先生を尊敬しています。
敬具