アシガール・私的(素敵?)覚え書き 「アシガールSP 5」

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アシガールSP」-5-

  超時空ラブコメ再び

     (放送日 2018年12月24日)

 

唯 < ただ走り続けた。 丸2日も。そして 若君と離れてから5日目の朝が来た >

 

唯 < あそこだ。 あの城に若君はいる…! >

 

極めて美しく、プロローグにもどる。

 

敵兵「敵兵じゃ~! こっちじゃ~! 急げ~!

 

唯「若君様。足軽の唯之助が参ります!」

 

敵兵「くせ者じゃ!」

 

敵兵「撃て!」

 

鉄砲の音。

 

唯「今日が結婚式だったのに~!」

 

ころぶ唯。

 

敵兵が多数迫る。

 

唯「あっ でんでん丸!」

 

でんでん丸が壊れる。

 

唯「うそ!? うそ!? うそ~!?」

 

敵兵が槍をかまえ、真円を描いて唯を囲む。

 

敵兵「覚悟いたせ!」


 

唯「いや~!」

 

 

武器を持った兵に囲まれ鉄砲の音も絶えずして、それでも進む唯。一途とはこういうことを言うのだろう。

♪愛と勇気だけが友だちさ♬

アンパンマンの心境。

 

絶体絶命のピンチ……のはずが、唯の持つパワーは運を呼ぶ。
クマ(宗熊)を手なずけて(?)おいたことが、次の展開になる。

 


宗熊「待て!」

 

兵を制止する。

 

唯「どういうことよ! くまのくせに若君を裏切って!」

 

宗熊「申し開きはせぬ。 これも運命じゃ」

 

唯「はあ?  あんたね…」

 


兵「総大将に何をする!」

 

唯「総大将!?」

 


宗熊「控えよ! 唯殿は 足軽にして忠清殿の許嫁にござるぞ!」

 

唯「くま。私を城の中に入れて。お願い! 若君に会いたいの」

 

宗熊「なれば…我らの使者となる覚悟は、おありか?」

 

唯「やる! 使者って お使いだよね? 何を届ければいいの?」

 

宗熊「降伏せよ」と。速やかに陣を解き 我らに降られよ」

 

 
長沢城に囚われていた唯は、親切にも熊にお説教をした。

「とにかくもっと自分に自信を持って。戦だって、祝言だって、人の言いなりになってちゃだめだよ」

 

心に響いた言葉は、その後の宗熊の行動を変えていく。

親熊が「和平なんてもってのほか!!!」と吠えるかたわらで、小熊は「和平じゃ!!!」と言い放つ。

 

そしてこの場でも使者として唯を使ってくれることになる。

 

凄いよね。

唯の真剣に相手と向き合う言葉が、いずれ自分に幸いを伴ってかえってくる。

 

そう、卵が孵化するように孵ってくる。

討ち入りの日 忠臣蔵の吉良上野介邸付近を歩く <2>

2019年の吉良祭・元禄市 つづき

 

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義士祭 式典会場

入口の右に「義士祭 式典会場」の掲示がある。この入口をくぐる。内部には式典参加者が大勢椅子に座っている。

祭といっても、実は法事。

赤穂浪士四十七士と吉良家臣二十士の両家の供養として、宮司による祝詞奏上などが行われる。

 

 

 

 

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吉良上野介座像

愛知県吉良町の華蔵寺は、上野介50歳のとき自ら造らせた座像が現存している。

その木像を元に制作したもの。

 

 

 

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吉良家 家臣二十士碑

赤屋根の下の石碑に、討ち入りのときに命を落とした吉良家家臣の名前が刻まれている。

 

 

 

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みしるし洗い井戸

上野介の首を洗ったと言われる首洗い井戸。

吉良邸にあったこの井戸を中心に地元の方が土地を購入し、現在の「本所松坂町公園」となった。

 



 

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元禄市

元禄市では、衣料、物産、おもちゃ、甘酒、ちゃんこ鍋などの店が並ぶ。

いわゆる的屋さんのような屋台は一つもない。地元の方ばかりのお店。

特に衣料関係が多いと感じた。大きな衣類をたくさん買って、サンタのように巨大な袋を持っている人たちもいた。

 

 

 

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和太鼓のパフォーマンス

腹に響くリズムが心地よい。

たくさん練習をしたのだろう。よく揃っていた。

子どもだけの演目もあり、後継者を大切に育てているのもわかった。



 

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本所松坂町跡の石碑

この一帯は「松坂町」として近世史上有名だったが、大正大震災後町名を変更することになった。地名が永く後世につたわるように、碑を建てた。

…のようなことが横に書いてあった。

 

この地からJR両国駅東口までは、250メートルくらい。

 

 

吉良祭・元禄市

 主会場 本所松坂町公園(吉良邸跡)
       東京都墨田区両国3-13-9

 

(おわり)

 

 

討ち入りの日 忠臣蔵の吉良上野介邸付近を歩く <1>

2019年の吉良祭・元禄市

2019年の吉良祭・元禄市は、12月14日(土)・15日(日)に
吉良邸跡の本所松坂町公園(東京都墨田区両国)を中心にして開かれた。

 

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大高源五の句碑

忠臣蔵四十七士の一人で、討ち入りの日を決定する重要な情報を入手したと言われる大高源五の句碑です。

源五は俳人でお茶も嗜むことから、吉良上野介義央の在宅の日の情報を、上野介のお茶の師匠でもある山田宗偏から入手しました。

大高源五の俳句といわれる「日の恩や 忽ちくだく 厚氷」を刻んだこの石碑は昭和3年に立てられました。(すみだ観光サイト)

 

 

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旧両国橋・広小路跡

橋の上は眺望の良い場所。遠く筑波山まで見えた。

橋の袂には火除け地としての広小路がおかれた。



 

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赤穂義士休息の地

義士たちは討ち入りを果たし、この広小路で休息してから泉岳寺へ向かった。

 

 

 

 

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一之橋

泉岳寺に向かう義士たちは、両国橋を渡らず、この一之橋から永代橋を通った。

 

 

 

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前原伊助宅跡

前原伊助は、吉良邸のすぐ裏に「米屋五平兵衛」という名前で呉服店を構え、吉良邸内の情報を探っていた。

 

 

 

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吉良邸跡(本所松坂町公園)

吉良上野介義央の屋敷は広大で、東西733間(約134m)、南北は34間(約63m)あり、坪数2,550坪(約8,400㎡)と諸書に記されています。

吉良上野介が近藤登之介の屋敷跡を拝領したのが元禄14年(1701)9月3日、義士の討入りがあって没収されたのが同16年(1703)2月4日ですから、実際に住んだのは1年半に満たない短期間でした。

本所松坂町公園は昭和9年に地元両国三丁目町会有志が発起人となって邸内の「吉良の首洗いの井戸」を中心に土地を購入、同年3月の東京都に寄付されました。(すみだ観光サイト)

 

 

(つづく)

 

 

 

 

紅葉の旧芝離宮恩賜庭園 <2> おわり

旧芝離宮恩賜庭園 <2>

 

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枯滝石組

細道を辿ると、滝登りのような景色にみえる。

 

 

 

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十月桜。

天高く梢まで満開。

 

 

 

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雪見灯籠。

 

 

 

 

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静かに漣の立つ池。

 

 

 

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雪吊り。

 

この雪吊りは、雪の少ない東京では庭園を美しく見せるためのものらしい。



 

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ビルに囲まれ、すぐそばを鉄道や道路が走る。

その真ん中の穏やかな景色が、外国の方にも人気なのだろう。

半分? それ以上かな、国のちがう人々が楽しんでいた。

 

出会った団体も外国の人たちだった。

 

 

(おわり)

 


旧芝離宮恩賜庭園

 TEL 03-3434-4029
 〒105-0022 東京都港区海岸1-4-1

   

 

紅葉の旧芝離宮恩賜庭園 <1>

旧芝離宮恩賜庭園 <1>

 

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浜松町駅南口を出て高架を歩く途中、眼下に庭園が見える。

北口から出れば、もっと近い。

 

 

 

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師走というのに穏やかな陽に照らされて、紅葉が映える。

 

 

 

 

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高いビルの上にクレーン車。どうやって上ったの?

 

旧芝離宮恩賜庭園は、東京に残る江戸初期の大名庭園の一つ。

 

 

 

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結婚記念のアルバムを撮っているらしい。

カメラマンと着飾ったふたりがこの樹のそばでポーズしていた。

 

 

 

 

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木の影が迫る。



 

 

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ビルと紅葉。



 

 

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ハゼノキの紅葉が見頃。

 

 (つづく)



旧芝離宮恩賜庭園

 TEL 03-3434-4029
 〒105-0022 東京都港区海岸1-4-1

 

                        

なすべん「ホテルエピナール」恵みの和食

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なすべん=那須の内弁当 1500円。

 

ホテルエピナールは、とても雰囲気がおだやかで落ち着く。

 

 

 

 

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中央が、那須高原和牛とニラの赤味噌仕立て。

上から見ると、いっそう彩りが美しい。

 


「なすべん」はだんだん参加店が少なくなっているのが気になる。
新しい年度では、ちょうど10周年を迎える。

たくさんのお店で「なすべん」が食べられますように!

 

 
・ホテルエピナール那須

  〒325-0302 栃木県那須郡那須町大字高久丙1番地
  

  TEL.0287-78-6000
  

 

クラゲと拳と周平と・・ 山形県鶴岡市 and 酒田市 <10 (おわり)>

山形県鶴岡市 and 酒田市 <10(おわり)>

土門拳記念館」

 

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土門拳記念館は、案内図の中央、オレンジ色の建物。

 

広い飯森山公園の中ほど、自然林にかこまれ、前には白鳥池、遠く鳥海山を望む。



 

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紅葉の並木を進む。

 

 

 

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やがて記念館が見えてくる。

  • 記念館は、昭和49年(1974年)酒田市名誉市民第1号となられた時、同氏より全作品約7万点が市に寄贈され、それを受けて個人の写真展示館としては、世界最初の同館が昭和58年(1983年)10月にオープンしました。

 

 

 

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「生誕110年 土門拳 古寺巡礼名作セレクション」

 

2019年9月27日(金)~12月22日(日)  カラー 64点

 

 

 

 

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土門拳のライフワーク「古寺巡礼」は、1963年から足掛け12年の歳月をかけて全5集にまとめられた。

 

全5集の収載作品787点の中から、珠玉の64点を迫力の大型作品で展示。

 

 

 

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土門拳が左手で書いた渾身の書」の説明。



 

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土門拳の略年譜(1909~1990)

明治42年(1909)山形県飽海郡酒田町(現・酒田市相生町)に生まれる。

7歳、東京へ一家で移り、9歳、横浜市に転居。

23歳、全農全国会議の農民運動に参加し、検挙、拘束される。

昭和13年(1938)、29歳、宇垣一成外相のルポ写真がアメリカの「ライフ」に署名入りで掲載される。

30歳、中村たみと結婚。美術史家水澤澄夫の案内で初めて室生寺を訪れ撮影。以後、ライフワークとなる。

 

 

 

 

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昭和16年(1941) 東京・新橋演舞場にて文楽の撮影を開始。2年間で約7千枚撮影、文楽の黄金時代を記録。

写真集『室生寺』(美術出版社)出版。

写真集『風貌』(アルス)、写真集『ヒロシマ』(研光社)

写真集『筑豊のこどもたち』(パトリア書店)

写真集『Hiroshima Nagasaki Document』(東松照明共著、原水爆禁止日本協議会

豪華写真集『古寺巡礼』第一集(美術出版社 第5集で完結)

 

昭和43年(1968)59歳、 山口県萩市で取材中、脳出血で倒れる。

昭和58年(1983)74歳、酒田市土門拳記念館開館。

写真・エッセイ集『手―ぼくと酒田』(土門拳記念館)

写真集『土門拳の古寺巡礼』(小学館)全7巻刊行開始(平成2年完結)

・写真集他、多数。

 

平成2年(1990)入院先の虎ノ門病院で心不全のため死去。享年80。

 

 

 

 

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光の射す美しい部屋。

 

ガラスの向こうは、庭園「流れ」。

 

 

 

(記念館のHP参照)

(記念館では作品の接写は不可だが、館内の撮影は可)


土門拳記念館
 山形県酒田市飯森山2-13(飯森山公園内)
 0234-31-0028 (FAX共通)

 

 
(おわり)

 

クラゲと拳と周平と・・ 山形県鶴岡市 and 酒田市 <9>

山形県鶴岡市 and 酒田市 <9>

「本間美術館」

 本間家の別荘「清遠閣」と庭園「鶴舞園 」

 

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茶室「六明廬(ろくめいろ)」

 

別荘「清遠閣」は、茶室「六明廬」を備えている。

「六明廬」は、にじり口や下地窓など、6つの明かり取りがあることから名づけられた。

 



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鶴舞園(かくぶえん)」

 

鳥海山を借景にした池泉回遊式庭園。
池の中島に鶴が舞い降りたことから、「鶴舞園」と名づけられた。


本間家四代当主光道が港湾労働者や農民の冬期失業対策事業として建造したもの。

敷地、約6000坪。

 



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本間家の別荘「清遠閣(せいえんかく)」

 

1813(文化10)年に四代目・光道が荘内藩主酒井候を領内巡視の際に迎えるため建築された。

京風の木造建築で庭園との調和も素晴らしい。

 

ガラス越しに見る庭は、より美しい。

 

 



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二階

 

明治時代末には一部二階建てになり、1925(大正14)年には東宮殿下(後の昭和天皇)が利用する。

 

その時に、従者がこの机や椅子を使ったとのこと。

 

 


各部屋の灯り

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本間家を訪問したヘレン・ケラー女史

盲・聾・唖の三重の苦しみを克服したヘレン・ケラー女史は、1948(昭和23)年に身障者事業に対する協力を求めるキャンペーンのため日本を訪れた。

寝台車で一夜を明かした女史は「ヘレン・ケラー女史歓迎県民大会」に出た後、本間美術館で歓待を受けた。

 

ケラー女史が本間美術館を訪れたときのことを本間久治氏は次のように回想する。


正直いってあのときほど面くらったことはありません。美術館旧館(元本間家別荘)の玄関を入って建物の説明を受けると、目の見えない女史は手で、『見』ようと柱や鴨居に手を伸ばし、触れられるのです。今までそんな経験はありませんから、鴨居まできれいに拭き掃除するなんて思いもよりませんでした。つぼや陶器をお見せしてもそうです。手をつぼの中に入れたり、鼻の近くまで持ってきてにおいをかいだりします。ですから、女史の手は見る間に、ほこりでまっ黒になりました。はたで見ていて非常に恐縮しましたが、本人は触覚と嗅覚で『鑑賞』するのに熱中しているようでした。

点訳ボランティア「はまなす」

 


(つづく)

 

* ケラー女史が旅先の名古屋から本間家宛に書いた礼状は、表装されて本間美術館にある。

 

 

 

クラゲと拳と周平と・・ 山形県鶴岡市 and 酒田市 <8>

山形県鶴岡市 and 酒田市 <8>

 「本間家旧本邸」

 

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本間家旧本邸 薬医門

家族はこちらの門から出入りし、他にも様々な用途・場面で使用された。

 

本間家旧本邸は、明和5年(1768)に新築し、幕府の巡見使宿舎として酒井家に献上した。

二千石格式の長屋門構えの武家屋敷。

 

 

 

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江戸時代に紅花や米を関西へ運ぶ西廻り航路が開かれ、酒田は北前船の拠点として栄えた。

その中でも「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と俗謡に謡われるほどの豪商だったのが本間家。

 

 

 

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伏龍の松

樹齢400年以上の赤松。
 

傾いているので、見えにくい場所に倒れないための工夫がしてある。

 

 

 

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船体を安定させる綿積石(海神石)として諸国から北前船で運んできた銘石を配している。

 

 

本間家旧本邸
 山形県酒田市二番町12-13
 tel 0234-22-3562

 

 

クラゲと拳と周平と・・ 山形県鶴岡市 and 酒田市 <7>

山形県鶴岡市 and 酒田市 <7>

 「大寶館」と「藤沢周平記念館」

 

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大寶館とお堀。

鶴ヶ岡城址内にある。

 

大寶館は、大正天皇の即位を記念して1915(大正4)年に造られた。

大正時代のバロック様式を模していて、ネッサンス風のドームをのせている。

 

建物は物産陳列場から図書館へと使われてきたが、1988年からは鶴岡ゆかりの人物資料を展示している。

 

 

 

 

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大寶館へ向かう橋。

 

正面からは、建物の美しさがよくわかる。

展示する人物は定期的に替えている。

 

 

 

 

藤沢周平記念館

 

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記念館入口。

 

藤沢周平プロフィール (1927 - 1977)

 

 藤沢周平(ふじさわしゅうへい、本名小菅留治:こすげとめじ)

  • 黄金村役場等で働きながら鶴岡中学校夜間部に通い、山形師範学校に進む。卒業後、教師となるが2年後に結核がみつかり休職。闘病の後、東京の業界新聞社に勤務。会社勤めの傍ら小説を執筆する。

 

 

 

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(プロフィールつづき)

  • 微禄の藩士や江戸下町に生きる人々を描いた時代小説、歴史上の事実や人物を題材とした歴史・伝記小説など数々の作品を発表するとともに、作家としての日々の暮らしや故郷・庄内、鶴岡についてのエッセイも残している。
  • 平成9年、逝去。

藤沢周平記念館HP)



 

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企画展示、特別展示

第15回企画展〈 藤沢周平と米沢 〉

 会期:2019年9月27日(金)から2020年3月31日(火)まで

藤沢周平は上杉家や米沢藩を題材にして作品を執筆した。
上杉家に関する資料や自筆原稿、旧蔵書を展示、関連する作品、背景となっている歴史を紹介する。

【関連作品】
 長篇 『雲奔る 小説・雲井龍雄』(中公文庫・文春文庫)
    『密謀』(新潮文庫
    『漆の実のみのる国』(文春文庫)
 短篇 「幻にあらず」 『逆軍の旗』(文春文庫)所収
    「一夢の敗北」 『夜の橋』(中公文庫・文春文庫)所収
(記念館パンフ)



 

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館内に再現された書斎。

 

東京の自宅仕事部屋で実際に使っていた机や愛用品。

当時の柱や畳などの部材を移築した。

(記念館パンフ)

 


館内のサロンでは、藤沢作品や関連する郷土図書などを読むことができる。
インタビュー映像の視聴、作品のデータベース検索もできる。
また、書籍は購入できるものもある。

 


藤沢ファンがたくさん訪れていて、熱心に展示をみていた。

 


・大寶館
 所在地 鶴岡市馬場町4-7(鶴岡公園内)
 電話 0235-24-3266

 

鶴岡市藤沢周平記念館
 〒997-0035 山形県鶴岡市馬場町4-6(鶴岡公園内)
 TEL : 0235-29-1880 FAX : 0235-29-2997

 

 (つづく)