名古屋
1945年(昭和20年)に焼失した旧天守の礎石
天守閣再建のため、礎石を移しかつての敷設状況を再現した。
石棺式石室
古墳時代後期のもの。
出雲地方独特の横穴式石室。
あれ?
犬がベランダから外を眺めている。
地上220メートルから見える景色。
モザイクアート
名古屋城の四季を描いている。
綺麗。
歩道の敷石だけど、とても踏めない。
(おわり)
ペンギンフィーディングタイム
右上の青い服の飼育員がペンギンに餌をあげている。
餌は、カラフトシシャモなどの魚やナンキョクオキアミ。
エンペラー(皇帝)ペンギン
ペンギンの中でも最も体が大きい。
エンペラーペンギンが生息するのは、ブリザードが吹きマイナス60度にもなる南極大陸。
皮膚の下に分厚い脂肪を蓄える。
体に比べてフリッパー(翼)やクチバシは小さい。
外気に触れる部分をできるだけ少なくすることで、体の表面からの放熱を抑えている。(説明文より)
インドネシアン・シーネットル
びっしりと毒針があり、何かが触れると一気に高速で飛び出す。
その速度は、時速にすると120km/h以上。
「くらげなごりうむ」
鏡や照明を用いてクラゲの美しさをより一層引き立たせる。
タコクラゲ
白い水玉模様は、「軟骨状組織」。
クラゲの傘を支える「骨」のような役割で、傘の成長にしたがって水玉模様の数も増加。
この組織により、タコクラゲは大きな傘を安定して維持することができるらしい。 (説明文より)
ビュッフェの朝食
(つづく)
「長谷山本土寺」
千葉県松戸市平賀
1277年(建治三年)豪族平賀忠晴の屋敷内に、日蓮上人の弟子日朗を導師として招き、開堂。
日蓮直筆の書状をはじめとして、松戸市域の貴重な中世資料を数多く所蔵。
「あじさい寺」としても親しまれる。
(案内板より)
仁王門
大きい数珠玉がかかっている。
仁王門越しの紅葉
シダレモミジ
落ち葉の道
光1
光2
光3
菖蒲池と宝物殿
楓の炎
赤門
紅葉 黄葉
イチョウと渡り廊下
廊下の窓ガラスに紅葉が映る。
実相閣の鬼瓦
「ふるさと復興運動」で、2002年に実相院跡に実相閣結社を建立した。
1991年(平成三年)に、日像菩薩六百五十遠忌記念として建立
高さ18m、中にインドのネール首相より贈られた真仏舎利の一粒を納め、千体佛と共に祀られている。
千葉県立美術館開館50周年記念特別展
企画展「浅井忠、あちこちに行く-むすばれる人、つながる時代―」
会期 2024年10月30日〜2025年1月19日
聖護院集合写真
聖護院にある浅井の自宅の庭において撮影。
自宅で開いた聖護院洋画研究所には、浅井を慕って集まった多くの研究生が研鑽を積む場所となった。
前列左端には浅井。
上段左に立つ牧野克次、門弟の澤部清五郎、安井曽太郎らが一堂に会している。
正二位勲一等侯爵西園寺公望弔辞
浅井は、惜しくも病に倒れて1907年12月16日、51歳でその生涯を閉じた。12月19日、弟の達三が喪主となり、南禅寺金地院で葬儀が営まれた。
庭の見える休憩室
浅井忠像建立由来
浅井忠は安政三年に誕生
洋画家を志した
東京美術学校教授に就任
フランスに留学
帰国後は京都高等工芸学校教授に転じ
明治四十年死去
昭和五十三年十一月十八日
紅葉に囲まれた浅井忠像
千葉県立美術館前
(おわり)
千葉県立美術館開館50周年記念特別展
企画展「浅井忠、あちこちに行く-むすばれる人、つながる時代―」
会期 2024年10月30日〜2025年1月19日
パリへの旅路
1900年2月26日 東京→神戸
2月28日 神戸→香港→スエズ→フランスのマルセーユ着
グレーの塔 1901年
パリ近郊にあるグレー・シュル・ロアンの教会を描く。
光と影、石造りの教会の質感などを見事に捉えている。
浅井忠家族写真 1904年
図案画稿(花瓶図)
パリ万博に出品されていたタペストリーからヒントを得て制作。
ギザギザ模様の鬼のデザインを特徴とするこの図案は、浅井が滞仏中に日本の雑誌『ホトトギス』の表紙絵にもアレンジされて使われている。
花 1902〜1907年
アール・ヌーヴォー的な装飾性を参照にしながら、自己の表現にまで昇華した秀作である。
(つづく)
千葉県立美術館開館50周年記念特別展
企画展「浅井忠、あちこちに行く-むすばれる人、つながる時代―」
会期 2024年10月30日〜2025年1月19日
根岸時代集合写真 1900年
説明文より
門弟とともに写す。中央で腕を組み、長身の人物が浅井。
狂女(付子規句) 1898年頃
浅井と子規が合作した軸装作品で、軸の上部に貼られた「霜かれや狂女に吠ゆる村の犬」という子規の直筆の句を受けて、浅井が絵を描いている。(千葉日報記事より)
説明文より
長い髪、長い衣。
離れた位置で白と黒の犬が吠える。女性の白い肌と黒い髪の様子に似せているように見える。
子規居士弄丹青図 1902年
説明文より
子規が床から少し身体を起こし、植木鉢の植物を写生する様子を浅井は描いた。
従軍
1894年、日清戦争時、「わが初めて軍に従ふとき、……軍中の実況を描写して後世史乗の闕を補ひ、能く文字の及ばざるところを描き出さんこと……」と意気込んでいた。
1904年には「戦争画を思い出すと頭痛めまいを生じ、……戦争画がいやになり候……」と心境は変化していった。
ラン家邨天長節祝宴 1894-1895年
Celebrating Emperor’s Birthday in Rankason
(つづく)
千葉県立美術館開館50周年記念特別展
企画展「浅井忠、あちこちに行く-むすばれる人、つながる時代―」
会期 2024年10月30日〜2025年1月19日
曳舟通り 1885年
説明文より
川べりの休憩所とその周辺を描いた本作は、浅井の数あるスケッチの中でも際立った完成度を誇る。
構図のまとまり、線のコントロール、光と影の表現が素晴らしい。
図画教科書の制作は浅井の重要な活動の一つ
彩画初歩 1896年(明治29)刊行
全国的に最も使用された教科書
根岸時代
1891年に根岸に転居
35歳から44歳まで根岸に住む。
結婚、従軍、東京美術学校の教授就任など。
菓子器 1897年
説明文より
フランス留学前に絵付けした作品。
本と花 1889年
説明文より
秀作揃いの中でも優れた出来栄えの作品。
(つづく)