♪ おもいで らんらん (52)「シンデンのおじちゃん、おばちゃん」

(52)「シンデンのおじちゃん、おばちゃん」

シンデンさんは、父が勤めている会社の守衛さんです。

会社に遊びに行くと、守衛所の窓越しに

「よく来たね」

と、まん丸眼鏡で迎えてくれます。

門を抜けてまっすぐ進むと四つ角があり、右に曲がってしばらく歩くと父の働く長い棟があります。父の部屋へ行き、カラフルなアクリル板で出来た製品を眺めたり触ったりするのが私のお気に入りです。

「ほら、これはキズがあるからあげるよ」

まれに、出来損ないのアクリルの切れ端をもらうことがあります。それは全く“宝物”で、学校に持っていって自慢したものです。筆箱の中に入れ、取り出しては眺めていました。薄い黄色や黄緑色、ピンクや青の切れ端を太陽に透かすと、ノートや教科書に美しい色の影ができます。そのアクリルを固い板のところに当てて擦るといい匂いがします。

 

シンデンさんの住んでいる家は、会社の娯楽施設がある土地の中です。広い運動場の一隅に立つきれいな洋館で、橫に長い板壁には薄水色のペンキが塗ってあります。一階も二階も窓が規則的にいくつも並び、太陽が当たっているときなど、ホーッ!と息をしてしばらく眺めていました。

その二階建ての建物は私には夢のような家でした。小さい頃はシンデンさんの家だと思っていました。後になって考えると、シンデンさんは会社の守衛のほかにその建物の管理人もしていたのではないかと思われます。

 

シンデンさんの奥さんであるおばちゃんは、小柄な人でした。事故に遭った後遺症で体のあちこちが動かしにくいようでした。

私が遊びに行くと

「いらっしゃい。さぁ入って、入って!」

と大きな声で言ってくれました。よく笑いよく喋って歓待してくれました。

シンデンさんとおばちゃんは、私が小学校にあがるとき赤い透きとおった筆箱をプレゼントしてくれました。うれしかった私は大切に大切に使い、6年生になっても使っていました。

 

会社の新しいビルが神保町に出来たとき、シンデンさんはそこの守衛になりました。そして私の父も神保町が勤務先になりました。

私は高校生の頃、神保町の本屋街に行くたびビルの一角のシンデンさんの部屋にお邪魔して

「大きくなったねえ!」

の言葉を何度も聞いて一緒におしゃべりしたものです。

 

その後、お二人は会社を退職して別のところに住むようになったという知らせを受けました。遊びに行くと、いつも通り喜んで迎えてくれました。シンデンさんはお坊さんのように頭がツルツルで光っていました。てっぺんが少し尖ってもいました。おばちゃんは変わらず親切で元気でした。おじちゃんが食べ物をこぼすと、少し不自由な手でおじちゃんの口のまわりを拭いたり落ちた食べ物を拾ったりして世話をやいていました。

 

おじちゃんはずっと前から彫刻技能の資格を持っていました。勤めの休みの日に行くと、よくハンコを造っていました。度の強いメガネをして拡大鏡と照明の集まる手先に神経を集中し、細かい逆さ文字を彫っていました。退職してからはそれが主な仕事になったようです。父はシンデンさんに彫ってもらったハンコが自慢でした。

 

おばちゃんは、

「この頃ねぇ、寝ている時におじちゃんが息してないんじゃないかって心配になるの。だから手をね、こうして鼻の前に持っていっておじちゃんの息を確かめるのよ。それでね、あぁ良かった、息してたよって」

そんなことを話していました。


ずいぶんと時が経ち、お二人は亡くなられました。

掛け替えのない人たちでした。

毎年、毎年、

「変わり映えしないわねえ」

と言いながら、私の成長に合わせた白シャツのプレゼントをくださいました。それがどんなに便利で、いわゆるオシャレな贈り物であったか、今とてもよく分かります。

 


実は、シンデンさんが退職してから住んだ家の前を、今もよく通ります。

通るたびに、いつも暖かく迎えてくれたシンデンさんとおばちゃんと、小さかった私とを思い出します。