赤穂浪士討ち入りの日


東京都港区高輪の「泉岳寺」中門。

元禄14年(1701)、江戸城にて赤穂藩浅野長矩が、吉良義央に切りつけた。浅野は切腹、吉良はおとがめなし。元禄15年12月14日、赤穂四十七士が吉良邸へ討ち入りをした……とされる。




右香炉の後ろが、浅野長矩公の墓。



義士祭の提灯を彩るカエデの紅葉。

吉良側になれば、またいいたいことの数々もあろう。



四十七士墓所

赤穂四十七士は元禄16年2月4日に切腹し、この地に埋葬された。一番若い大石主税は16歳、最長老は堀部弥兵衛77歳。事に及んだ後、両国本所の吉良邸から高輪の泉岳寺まで、12kmの道のりを歩いたという。



都営浅草線泉岳寺駅」構内にある四十七士の木額。