(21)「濡れ縁では……」
私が住んでいた家には、縁側がありました。
雨戸の外にあったから、濡れ縁でした。
沓脱石には、「ワニ」と彫刻刀で彫ってある大きいサイズのサンダルが並んでいました。履き物は夜になると玄関の方へ移していた気がします。
ふだんは台所に近い部屋で食事をします。
暑くなってくると、縁側のある座敷に紫檀ぽい座卓を出してきて、そうめんや冷麦を食べました。蚊取り線香の匂いがしました。
もっと小さい頃、家族5人で座卓にそろうと私は誰かの膝にいました。ご飯のときもトランプをするときも麻雀をするときもカルタをするときも手品をするときも。
「お味噌」ちゃんでした。
細い紙を手を使わずにスルスルと曲げていく手品は、からくりのわからない私が驚くのが愉快で、みんながしてくれました。
いつ頃からか「膝」を卒業して、座卓の「角」がもらえたときは嬉しかった覚えがあります。
スイカは必ず濡れ縁で食べました。種は庭へポイポイ。大きい花火は庭に出るけれど、線香花火は縁に腰掛けてしました。近所の人が来るのは玄関より濡れ縁の方が多かったようです。
濡れ縁と座敷との境にある柱には、背くらべの印がありました。子ども3人分の印。
柱の表面はきずがたくさんあり上塗りの色が剥げていました。きずができると柱の中身の色が薄黄色なのがわかりました。そんなきずがいっぱい。育ち盛りの子どもがいると、どんどんきずは増えました。
「背くらべ」の歌のように、柱にもたれると遠い山がチラッと見えました。
柱の鴨居には竹筒が釘で留めてありました。竹筒の上の方に横 3〜4センチ、縦 1センチよりすこし小さいくらいの長方形の穴が開いていました。十円玉や五円玉を入れる、いわゆる貯金箱です。
それは、私が思うに
『必要なものがあると、ガチャガチャやって勝手にお金を取り出している』
ように見えたのです。
ある日、テーブルと椅子を組み立て、竹筒を傾けてお金のいくらかを出しました。それを持って近くの駄菓子屋さんに行きました。何かを買って帰りました。
すぐに駄菓子屋さんのお兄ちゃんが家にきました。
「今ね、うちで買い物して帰ったんだけどさ」
と母に話していました。
「確かさ、お宅の子は小遣いをもらってないよね」
すばらしいご近所の繋がり。
この界隈で育ってよかった…………
と、後になって思いました!