(24)「アメリカから来たマリちゃんの家」
近所にアメリカから移ってきた人の家がありました。
お母さんは日本人で、お父さんはアメリカ人で、生まれた子どもがマリちゃんです。アメリカ生まれで、私の二つ上でした。
マリちゃんのお母さんは背が高く大声で笑う人で、絵の教室を開いていました。私の母とマリちゃんのお母さんが知り合いだった関係で、小学校1年生の私は絵の教室に入りました。
お稽古はもちろんマリちゃんの家です。
いつもは一つの部屋だけで描いていました。
あるときマリちゃんのお母さんが家の中を案内してくれました。
洗濯関係だけの独立した仕事部屋には、見たこともない大型の洗濯機。
台所には子どもが何人もかくれんぼできそうな冷蔵庫。
日本の湯船ではない長いお風呂。
マリちゃんの寝室のベッドにはマイクのようなものがついていました。それは台所で料理するお母さんが、離れたままでマリちゃんの声や部屋の音を聞くことができるものでした。
マリちゃんは
「もう赤ちゃんじゃないから、今は使っていない」
と言いました。
私たちは
「ひえーっ!」
とか
「ほーっ」
とか騒ぎながら見てまわりました。
ある日、マリちゃんのお母さんは
「ご飯をご馳走するからおいでね」
と言ってくれました。私の兄も一緒にマリちゃんの家におよばれしました。食卓はきれいに飾り付けられていました。皿やフォークやナイフが並んでいました。
見たことのない料理が出てきました。
私の兄が、
「これはどうやって食べるのですか」
と聞きました。
マリちゃんのお母さんはニコッとして
「口を開けて食べるのよ」
と言いました。
変な答えだったのですが、私は妙に納得しました。そうか、どんな料理だって口を開けて食べるものね、と。
マリちゃんのお母さんの答えで、あまり緊張しないでいただくことができました。
それからしばらくして、マリちゃんの家族はあのびっくりするような家を手放して、遠くの新しい家に引っ越しました。そこに絵の教室の生徒を呼んでくれました。画板を肩から斜めに掛け、絵の具箱を抱え電車に乗ってバスに乗ってみんなで行きました。
久我山というところでした。玄関へのアプローチは少し坂道で、両側に花が植えてありました。マリちゃんの家は前より大きくなっていました。珍しいお菓子をいただき、庭で写生をしました。
マリちゃんのお母さんは、前と同じく
「ガハハッ!」
と笑い、私たちも絵筆を動かしながら、つられて声を出して笑いました。
あの太陽みたいなお母さんとマリちゃん。
そして、陽の当たる大きな家!