(33)「百人一首を覚えたころ」
お正月になるとコタツの上に百人一首の札が並ぶ家で育ちました。
父も母も子どものときから百人一首をずっと楽しんでいたそうです。それぞれに得意札があり、上の句の文字、一つ、二つ、三つが読まれた瞬間にパッと札を飛ばします。とてもとても太刀打ちはできません。
母が話してくれる歌の解釈は少し変わっていました。
いにしへの奈良の都の八重桜今日九重ににほひぬるかな
これは臭い歌(にほいぬる)
うかりける人を初瀬の山おろし激しかれとは祈らぬものを
これはハゲの彼の歌(ハゲしかれとは)
恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそ惜しけれ
恋に口なし目も鼻もなし(こひにくちなむなこそをしけれ)
ながらへばまたこの頃やしのばれむうしと見し世ぞ今は恋しき
牛と一緒に見た世の中(うしと見し世ぞ)
ももしきや古き軒ばの忍ぶにもなほあまりある昔なりけり
古いのきばにももひき(股引)を干した
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ
身も蓋もなし(身もこがれつつ)
母は、ほとんどの歌にそんな意味付けをしていました。母の育った家ではきっと似ている言葉をくっつけて楽しんでいたのでしょう。母のふざけた解釈は怪しくて信用できません。
家族でカルタ遊びをしていましたので、耳で聞いてうろ覚えの歌はいくつかありました。でも、まともに言えるのはほとんど無かったと思います。下の句を聞いてからおもむろに札を探していました。
そんな高校一年のある夜更け、
『全部覚えよう!』
と、突然思い立ちました。
方法は単純で、読み札を繰り返し読むだけです。漢字を読み、ひらがな表記が今と違うのを正しく読めるようにして、一晩でほぼ覚えました。およその意味もつかみました。
翌日とその次の日と、三日かかって完全に暗記しました。
暗記をしてからしばらくして、小さな集まりでカルタ会をしました。直前、少しお腹が痛くなりました。友だちが心配して
「少し休んだら?」
と言ってくれました。
それまで家族だけで遊んでいて、他の人と百人一首をしたことはありませんでした。私はそのカルタ会が初めてのことなので少し緊張したのです。
始まってしまえば、お腹のことはどこかへ飛んでいきました。もちろんみんな素人ですので、お手つきをしながらワイワイと騒ぎ楽しみました。
結果、僅差で優勝した私は、何か商品をいただいた覚えがあります。
すばらしきあの頃の記憶力!
アレ?
そのことを今も覚えているのだから、現在の記憶力だってそこそこのもの?