(38)「祖父の背中」
母は18歳で父と結婚し、19歳で私の兄が生まれました。
母の父、すなわち私の祖父には、私が学校に上がる前にお年始に行ったとき初めて会いました。家が遠くてなかなか会えなかったからです。
ある日、その祖父が突然!私の家に来ました。私が小学校低学年の頃でした。
母はびっくりして迎え、すぐに魚屋と酒屋に走りました。
残された祖父は落ち着かず、私も祖父をチラッと見たりし、二人して黙っていました。
母はいつもと全然違う飾り付けしたお造りと、お酒を持って帰ってきました。祖父はお酒が好きだったのです。私の父はお酒を飲まない人だったので、母は準備が大変そうでした。
祖父はコタツの部屋でお酒を飲みながら、母と話していました。私は隣の部屋で遊んでいました。
そのうち、
「こっち来て背中をさすってくれ」
と祖父が私に言いました。
恐る恐る近寄って、背中にそっと触りました。うちにはお年寄りがいなかったので、私はどうしてよいかわからなくて困りました。
祖父も困ったらしく、新手を出し、
「肩をたたいてくれ」
と言いました。
背広の背中は硬く肩も硬く、力を入れてトントントントンとたたきました。
祖父は笑って、
「ああ、いい気持ちだ」
と言いました。
祖父は絵本に出てくる昔話のお爺さんそっくりでした。
母が若いから祖父もそんなに年とっていなかったかもしれませんが、私にはそう感じられました。
それが祖父にとって、たった一回の「娘の家」への訪問でした。
その次に会ったのは、祖父が病気のときです。
「こっちぃ来て背中をさすってくれ」
同じことを言われました。
横向きに寝ていた寝巻きの背中は温かく、私はきっと前より上手に撫でることができました。白地に青の格子縞の背中はやっぱり硬く、祖父は病気が辛そうでした。
そして……、
次はもうありませんでした。
温かくて硬い背中のことは、私の手がしっかり覚えています。