(48)「母ひとり子ひとりのカナちゃん」
高校時代、圧倒的に友だちの少ない私にできた大事な人。
カナちゃんは人と付き合うのが上手でした。一人でいることが多い私にもよく話しかけてくれました。しかも私の話をよく聞いてくれました。
勉強が好きな人でした。中途半端にタラタラ勉強する私に
「環境がいいんだから、もっと頑張れるよ!」
と励まし、試験前になると私の家に泊まりに来て一緒に勉強をしてくれました。
台所仕事も一緒にしました。カナちゃんが壁に吊るされたお玉を取って使ったあと、いざ、戻すときになって
「あれ、どこにあったんだっけ」
と困っていました。
たまたまそばに来た母が
「『取る時にどこにあるか』を、しっかり見ておかないといけないよ」
と、言ったら、
「えっ?」
とカナちゃん。
「『え(絵)』じゃない『じ(字)』だよ。しっかりしないと落第するよ!」
と母が言ったのでみんなで大笑いしました。『絵じゃない、字だよ』は、そのころの母の決まり文句でした。
「そうね、取る時が大事ね」
とカナちゃんは感心したように言いました。
カナちゃんは母ひとり子ひとりで、そのお母さんとも離れて暮らしていました。カナちゃんの本当の家は今の学校に通うには不便なところだったので、お母さんのお姉さんの家から学校に通いました。
お母さんから仕送りが来ると
「昨日ね、届いたの」
と言って安心していたようでした。お母さんが元気に働いているのが分かるからだと思います。
おばさんの家には高校生と中学生の女の子がいました。私が遊びに行くとみんなでトランプをしたりゲームをしたり大賑わいでした。
おばさんの家の二階には小さな出窓があって、私はそこに座って下の細い通りを見るのが好きでした。印刷工場がたくさんある街で、いつも機械のガチャガチャ音が聞こえていました。そこは「石川啄木終焉の地」に近い場所だと、ずっと後で知りました。
近くの小石川植物園にはよく行きました。おやつにキスチョコを買うのが決まりでした。
そういえば、園内を二人で歩いているとき、怪しい集団にお金を集られたことがあったのです。
あまり年の変わらない男の子たちが周りを囲んで、
「跳んでみろ!」
と脅すのです。
二人とも夢中になって逃げました。樹木の手入れ作業で働いている遠くの人たちに大声で助けを求めました。
なんとか難から逃れ、彼らは捕まりました。
「跳んでみろ!」
とは、ポケットにお金が入っているかどうかを調べるためだったと後で教えてもらいました。
私は家族と一緒に住んで、いわゆる不自由なところはありません。でも、それが恵まれているのだということにもほとんど気づかなかった呑気ものでした。
辛いこともあったと思うのに、カナちゃんの優しさは本物でした。だから友だちも多く、男子にも人気がある素敵な子でした。
英語が得意で、すごく頑張って望みの大学に合格しました。
カナちゃんの頑張りはいつも私を励ましてくれました。