(49)「私の机」
中学2年ごろ、初めて自分の部屋と自分の机を持ちました。
「部屋」と言ってもとても小さく、一畳の広さもありません。座敷に付いている「床の間」部分だったからです。
座敷より10センチくらい高い床でした。
座敷側から見て左側に木製の机。その場所ジャストサイズの板に四本脚がついたもの。父の手作りです。引き出しも何もありません。背もたれのついた椅子は誰かからいただきました。
父が棚も作ってくれました。座敷から見て正面高いところに、壁から壁まで一間弱の長い棚。右側の壁には短い棚が三段あり、考えたより多量の物を収納できます。
棚はベニヤだったので、家族からは「ベニヤの娘」と呼ばれました。
床の間と座敷との境には色の薄いブルーのカーテンをつけました。
とても寝ることなどできない「部屋」でした。それでも、カーテンを閉めスタンドをつけると「室内」に薄青の色が広がって、
「わあ、私の部屋だ!』
と嬉しくなりました。
大学に入ったころ、兄たちが巣立ったので少し広い部屋をもらいました。
父が働いていた会社では、いらなくなったたくさんの机を欲しい人に分けてくれました。もしかしたら少しお金を払ったのかもしれません。
木製で上から下までの引き出しが両サイドついていて、中央には横長の広い引き出し。そして机の下部には球形のしっかりした脚が四つ。
急に役職についた気分でした。
全体が暗緑色に塗られていて、非常に重い机でした。引き出しのついた机は初めてだったし、椅子も肘掛け付きで気に入りました。長い間会社で使っていたので天板が少し反っていて鉛筆など丸いものは転がります。
しかし、天板の周囲はぐるりと別の板で囲んであり、その境に5〜6ミリの溝があったので、転がったものはそこでストップしました。
引き出しの1段目は文房具、2段目は教科書、というふうに楽しんで入れていました。3段目は深かったので、手前に大きい書類、奥にちょっとした背の高いもの。
真ん中の広い引き出しは、箱で区切ってたくさん収納しました。引き出し部分も天板と同じで歪みがあり、出すも引くも軋み、時々は引っかかって開かなくなりました。その軋みも引っかかりも含めて大好きな机でした。
考えてみれば父も母も自分の机を持っていません。書く必要がある時は食卓を使いました。
個人の机が持てるというのはずいぶん幸せなのだと思います。