群馬県の南端めぐり (3)


神流町 恐竜センター」 恐竜に会いに



サンチュウリュウ実物大模型が出迎える。


サンチュウリュウ化石は、群馬県多野郡中里村(当時)・今の神流町で発見された。







地元で発見の恐竜化石。


サンチュウリュウの胸胴椎骨(きょうどうついこつ・腰のあたりの背骨)。
写真の化石は、横の長さ約12cm。


1981年(昭和56年)に発見。足跡化石(次とその次の写真)のすぐ近くの山中(さんちゅう)「地溝帯(ちこうたい)」で発見されたのでサンチュウリュウと名付けられた。


サンチュウリュウとよく似た化石がモンゴルでも見つかっている。現在、中里とモンゴルは海で離れているが、恐竜時代の中里はアジア大陸の東端で、この二つの地域をつないで恐竜が歩いた道「恐竜ハイウエイ」があったといわれている。







恐竜の「足跡」発見を知らせる上毛新聞(1985年(昭和60年)4月4日付)


日本で初めて認められた恐竜の「足跡化石」。


国道299号線沿いの崖の表面にあり、それまでも足跡とは知らず多くの人の目に触れていたから驚かれた。







漣岩と恐竜の足跡(レプリカ)。


漣岩(さざなみいわ=水の流れた痕跡のある岩)は1953年(昭和28年)の道路工事で姿をあらわし、1957年(昭和32年)に調査され、1965年(昭和40年)には県の天然記念物に指定された。


しかし、漣岩に残されたくぼみは謎だった。このくぼみが二本足の恐竜の足跡と認定されたのは、30年以上もたってからだった。
(足跡以外の凹みを説明する案は、いずれも否定された)


この巨大な漣岩には、恐竜グループ A・B・C が付けた足跡が50個くらいある。写真の凹みはAグループが付けたもの。







ピノサウルス類の歯。


1994年(平成6年)に中里村(当時)で発見された、約1億2000万前の化石。


ピノサウルスはワニに似た顔をした大型の魚を食べる恐竜。このあたりは海岸だったので魚を食べる恐竜が多くいたかもしれない。







格闘化石「プロトケラトプス VS ヴェロキラプトル」(モンゴル)


闘ったままの姿で発見された「格闘化石」。
左がプロトケラトプス、右がヴェロキラプトル


砂嵐に巻きこまれてまで闘い続けた。







恐竜センター駐車場の恐竜。



こどもと一緒に訪れるのによいところ。
今回は利用しなかったけれど、食堂もよさそう。
イグアノ丼、プテラノ丼、アンモナイトウインナー、恐竜ナゲット……、エッと驚くネーミング。



======
 #資料
   「恐竜の足跡」「恐竜探検ブック」中里村恐竜センター発行 、他。



(つづく)