間宮林蔵記念館 茨城県つくばみらい市
間宮林蔵は1780年(安永9)この地に生まれ、天文地理御用掛として蝦夷・千島列島・カラフトで活躍した探検家・測量家。
1844年(天保15)江戸の自宅で病死。65歳。
記念館は鉄筋コンクリート平屋建(写真の右側)。
展示室・ギャラリー・ホールなどを備えた近代的建物。
館内は撮影禁止。
間宮林蔵像と生家。
木造茅葺平家建。
この地から南西約50mの位置にあった建物を、1971年(昭和46)に移築し復元した。
生家の内部。
広さは76㎡(約23坪)。
竈が見える。
見あげると、骨組みが微妙に入り組んで美しい。
軒先の厚みが数十センチはある。
この厚みが夏は涼しさを、冬は暖かさを保つのだろう。
通気性に優れ、吸湿の作用もあるらしい。
存在感のある鬼瓦。
北海道開拓の父として有名。
間宮海峡を発見し、蝦夷地全土を測量し、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」の北海道部分を完成させた。
隠密のような仕事もしていたらしい。
記念館前の立像。
長年、測量のため働き生涯独身だった。
2003年(平成15)、生誕地の茨城県伊奈町で「林蔵祭」が開かれた。
間宮林蔵顕彰会によって確認された「間宮林蔵の直系の子孫・間見谷(まみや)喜昭さんが参加」という新聞記事を見付けた。
子孫の方は、間宮林蔵とアイヌ民族の女性との間に生まれた娘の子孫にあたり、旭川アイヌ協議会長をされた人。五代目の子孫になるとのこと。
間見谷喜昭さんは、2008年10月に78歳で逝去された。
〇 間宮林蔵記念館