討ち入りの日 忠臣蔵の吉良上野介邸付近を歩く <1>

2019年の吉良祭・元禄市

2019年の吉良祭・元禄市は、12月14日(土)・15日(日)に
吉良邸跡の本所松坂町公園(東京都墨田区両国)を中心にして開かれた。

 

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大高源五の句碑

忠臣蔵四十七士の一人で、討ち入りの日を決定する重要な情報を入手したと言われる大高源五の句碑です。

源五は俳人でお茶も嗜むことから、吉良上野介義央の在宅の日の情報を、上野介のお茶の師匠でもある山田宗偏から入手しました。

大高源五の俳句といわれる「日の恩や 忽ちくだく 厚氷」を刻んだこの石碑は昭和3年に立てられました。(すみだ観光サイト)

 

 

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旧両国橋・広小路跡

橋の上は眺望の良い場所。遠く筑波山まで見えた。

橋の袂には火除け地としての広小路がおかれた。



 

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赤穂義士休息の地

義士たちは討ち入りを果たし、この広小路で休息してから泉岳寺へ向かった。

 

 

 

 

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一之橋

泉岳寺に向かう義士たちは、両国橋を渡らず、この一之橋から永代橋を通った。

 

 

 

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前原伊助宅跡

前原伊助は、吉良邸のすぐ裏に「米屋五平兵衛」という名前で呉服店を構え、吉良邸内の情報を探っていた。

 

 

 

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吉良邸跡(本所松坂町公園)

吉良上野介義央の屋敷は広大で、東西733間(約134m)、南北は34間(約63m)あり、坪数2,550坪(約8,400㎡)と諸書に記されています。

吉良上野介が近藤登之介の屋敷跡を拝領したのが元禄14年(1701)9月3日、義士の討入りがあって没収されたのが同16年(1703)2月4日ですから、実際に住んだのは1年半に満たない短期間でした。

本所松坂町公園は昭和9年に地元両国三丁目町会有志が発起人となって邸内の「吉良の首洗いの井戸」を中心に土地を購入、同年3月の東京都に寄付されました。(すみだ観光サイト)

 

 

(つづく)