「東繭倉庫」
長さ114m、高さ14m、奥行き12m。メートル法の設計だったものを日本の棟梁が尺貫法に書き直して造った。当時の養蚕は年に1回だけの収繭だったため、その繭を一年中収納しておくために、大きな倉庫が必要だった。
「繰糸場(左側)」
長さは141m、天井の高さは10m以上ある。
工女の労働環境は充実していて、一日8時間労働、日曜は休み、医療も手厚いなど当時としては画期的だったようだ。
「繰糸場で工女が働いている様子:展示パネル」
山本茂実 原作の映画『ああ野麦峠』を思い出す。映画は、明治36年頃の長野県岡谷市を舞台にしている。従って、明治5年に造られた富岡製糸場とは大きく違うのだろう。
しかし、富岡製糸場も昭和62年操業停止まで115年間続いた中には、どんな歴史があったのか興味がわく。
(つづく)